オランダ代表として100試合以上に出場したロビン・ファンペルシー。2014年のワールドカップ対スペイン戦でやったこのダイビングヘッドは伝説だ。

何度見ても半端ない!そして、得点後には全力疾走でルイス・ファンハール監督のもとに駆け寄って全力ハイタッチ!

だが同じ年、ファンペルシーはファンハールから冷酷なクビ宣告を言い渡されていた。

ファンペルシーは2012年にアーセナルからマンチェスター・ユナイテッドに移籍。そして、2014年にファンハールはユナイテッドの監督に就任する。

『High Performance』のポッドキャスト配信でファンペルシーはこんな裏話を明かした。

ロビン・ファンペルシー

「(ユナイテッドの監督になった)彼からこう告げられた。

『OK、ロビン。我々は別れることになる。私が監督で君は選手だ。君は去らなければならない。君の時間は終わった』と。

自分は『そうですか、でもまだ契約が残っています』と言ったけれど、『どうでもいい』と返された。

冷酷だった。何かあるかもしれないと予期していたが、こんな冷酷なものとは思わなかった。彼の言い方もね。

こんなメッセージを言われたら、多くのことが頭をよぎる。

『まだ契約があるし、家族も幸せだ。自分もイングランドで11年やってきた。ここでの暮らしが大好きだ。この後どうなる?子供たちは学校に通っているし、友達もいる』。

一瞬でそういったことが頭を駆け巡ったよ。これにどう反応するか?

『OK、どうなるか見てみましょう。それはあなたの考えですが、私には契約がある。それに、イングランドとマンチェスター・ユナイテッドで幸せです。家族も。様子を見ましょう』と言ったんだ。

そして、握手をして立ち上がり、そのゴルフクラブを去った。

(彼は間違っていると試合や練習で証明してやろうとすぐに決断した?)

家に帰る途中に、『これはタフだ。こんな通告にどう反応するか。冷酷で厳しく、直接的だ』と考えた。多くのことが頭を駆け巡ったよ。

プレシーズンが始まると、自分は紅白戦でもプレーさせてもらえなかった。自分でボールを蹴ったりね。

『OK、落ち着け、落ち着け』と思っていたが、多くのことが起きていた。『俺に影響はない』と言ってみても、自分や家族、自分のキャリアに影響する。

でも、冷静さを保とうとしたよ。とはいえ、あの時点に自分の取り巻きではない人間と話すことはよかったのかもしれない。でも、自分はそうするには頑固すぎた。

いま振り返ってみると、そうすべきだったいくつかの時期があったね」

ファンペルシーは2014-15シーズンはユナイテッドの主力としてプレーするも、2015年夏にフェネルバフチェに移籍。

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ファンハールはその1年後の2016年にチームを退団している。

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