かつて世界最高レベルのファンタジスタに君臨した元イタリア代表FWロベルト・バッジョ。唯一無二といえる天才的選手だったが、怪我を含めて多くの悲運に見舞われた。

1990、1994、1998年と3度のワールドカップに出場したものの、優勝には届かず。1994年大会ではブラジルとの決勝でPK失敗という悲劇も味わった。

そんなバッジョは2002年の日韓大会への出場を強く願っていたようだ。『Sky』によれば、こう述べたそう。

ロベルト・バッジョ

「1994年のPK失敗は今でも思い出す。

2002年大会に招集されなかったことも非常な失望だった。パサデナ(1994年W杯決勝の地)と同様にね。

それが、自分が今もフットボールから離れて生活している理由かもしれない。

(2002年)W杯で自分は招集に値した。

償いたいという非常に大きな欲求があった。1994年のPK失敗があったからね。

手術から77日でピッチに戻って来ていた。たとえプレーしなくとも、自分は行くのに値した」

2002年当時のバッジョは35歳。2月に手術を受けた後、4月に復帰するとゴールも決めた(シーズンでは12試合11得点)。ファンも招集を期待していたというものの、ジョヴァンニ・トラパットーニ監督はW杯メンバーに選ぶことはなかった。

1994年のPK失敗を取り戻したいという思いがあったバッジョはこの落選に失望したという。

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なお、イタリア代表は2002年大会では決勝トーナメント1回戦で韓国に敗れている。

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