森保一監督になって日本代表へ初招集されたGKシュミット・ダニエル(ベガルタ仙台)。
アメリカ人の父親を持つ彼については、日本代表史上で“最も高い”197cmという身長ばかりが取り沙汰されるが、代表デビューとなった先日のベネズエラ戦では足元の技術に関しても優れたところを披露し、東口順昭で決まりかと思われていた正GK争いに一躍名乗りを上げた。
代表デビューの翌日には、海外移籍を強く希望したことが話題となっている。そこで今回は、日本人GKの欧州挑戦の歴史を振り返ってみよう。
権田修一(サガン鳥栖)
2015-2016 SVホルン(オーストリア)
ベスト4入りしたロンドン五輪で守護神を務めた権田。
ザッケローニ、ハリルホジッチ両監督の日本代表にも継続的に招集されたが、2015年にオーバートレーニング症候群を発症し、心機一転、本田圭佑がオーナーを務めるオーストリアのSVホルンへ移籍した。
初の海外生活は右脛骨を骨折、また、欧州GKのレベルの高さを実感するなどほろ苦いものとなった。しかしその経験を糧に森保体制で代表へ復帰している。