先日大きな話題になったのは、スティーヴン・ジェラードの動きだった。今年でLAギャラクシーを退団することが決まり、来季はもしかしたら監督としてのスタートを切るのでは?と言われている。

その候補として考えられているのがMKドンズ。かつてのウィンブルドンを母体としたクラブは、現在3部に当たるリーグ・ワンに所属している。

たとえ名選手であっても、監督になるには下積みが必要であると言われる。プレーしているときとは全てが違い、いきなりトップレベルのクラブに行くべきではないという論調だ。

しかしながら、その一方で下部リーグでのキャリアをスタートさせながら、そこで成功できず、監督としてのキャリアに終止符を打ってしまった者も・・・・

『FourFourTwo』は「下部リーグでの指揮で苦しんだスーパースターたち」という記事を掲載し、監督としての成功を掴めなかった人物を特集した。

トニー・アダムス

『私は大学でスポーツ科学を修めることを楽しんでいた。それを途中で辞めることになったが、ここに来たのは正しいことだと感じる』

アーセナルの伝説的なディフェンダーとして知られるアダムスは、2003年12月にウィコムの監督になった。

しかし、その年にチームは4部へと降格。アダムスはその後フェイエノールトのアカデミー、ポーツマス、ガヴァラ(アゼルバイジャン)で指揮したもののあまり成功できずに終わっている。

ボビー・ムーア

イングランド代表の伝説的なディフェンダーとして知られるムーアであるが、指導者としての限られたキャリアは汚点になってしまっている。

オックスフォード・シティとイースタン(香港)で短期間指揮を執った後、1984年に初めてサウスエンドで正式な監督となった。

成績は決して悪いものではなかったが、財政難に悩むクラブに翻弄されたムーアは2年で監督を退き、理事会の方で貢献するようになった。

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