『Gazzetta dello Sport』は「バルセロナのアルゼンチン代表DFハビエル・マスケラーノがインタビューに答えた」と報じた。

2006年にカルロス・テベスとともにウェストハム・ユナイテッドに加入し、驚きを与えたマスケラーノ。イングランド・プレミアリーグの最初の半年は苦しんだものの、その後リヴァプールへと移籍し、チャンピオンズリーグ決勝でもプレーした。

その後2010年にバルセロナへと移籍しており、ゆくゆくは国内に戻りたいという希望を明かしている。

ブレイクしたきっかけとなったリヴァプールへの移籍はラファ・ベニテス監督の貢献が大きいと話し、昨年も彼が指揮官を務めていたナポリから誘いがあったことを明かした。

ハビエル・マスケラーノ

「(12月20日にはリーベル・プレートとクラブワールドカップ決勝で闘うかもしれない)

僕はそこで幸せだったが、満足はしていない。スタートしたクラブに戻って終わりたい。ただ、何が何でもというわけではないけどね。

僕は健康でなければならないし、クラブが僕を求めてくれないと」

「(彼らは将来のコーチとしても見ている)

僕はまだプレーし続けたいし、キャリアを出来るだけ伸ばしたい。それはコーチになるための準備をする時間になる。それは挑戦したいものの一つだが、他にもやれることはある」

「(2006年にウェストハムへやってきた時には、あまりプレーできなかった。しかし2007年にラファ・ベニテス監督が君を求めていた)

その4ヶ月後、僕はチャンピオンズリーグ決勝の決勝にいたね! リーベル・プレートにいたときも、彼はバレンシアで僕を求めていた。

しかし、僕の心はロンドンの次にセリエA、リーガ・エスパニョーラだったんだ。ユヴェントスのディレクターとも会ったが、彼らはセリエBにいたしね。

僕はベニテスに会って『シャビ・アロンソ、モモ・シソコ、スティーヴン・ジェラードがいて、僕はどこでプレーするんだい?』と聞いた。

そうすると、彼は『君は彼らの誰にもない性質を持っている』と言ったんだ」

「(ウェストハムではあまりプレーできなかったよね?)

不満だった。ワールドカップの後に加入して、監督からはポジションを聞かれた。でも僕は6ヶ月の間自分を盛り上げ続けた。それがベニテス監督の下でプレーする準備になったんじゃないかな」

「(ラファ・ベニテスは昨年にもナポリに君を連れてこようとしていたね)

そうだね。間違いない。我々は話していた。しかし、しばしばそういうのは実現しないものだ。

僕をブラックホールから助け出してくれたことに感謝しなければならない。彼は偉大なコーチだよ」

「(670試合で10ゴールだ。バルサに来てからはゼロだ。そのうち娘に捧げたものはある?)

幸運なことに、妻も娘もサッカーを見るのは好きじゃないんだ。僕をテレビで見るのは希だね。それは僕をリラックスさせてくれるよ」

【厳選Qoly】東南アジア最強を決める三菱電機カップで日本出身選手が躍動!活躍する日本出身の5選手を紹介