来週開幕を迎える女子アジアカップ 2014。ワールドカップ予選も兼ねているということもあり、注目が集まる大会となる。
先日監督に就任し、初の大きな大会に臨むことになるアレン・スタイチッチ氏は1973年生まれの40歳。セミプロのサッカー選手として活躍した後指導者に転身。オーストラリア国立スポーツ研究所や高校での指導を経て、2008年にシドニーFC女子チームの監督に就任するとともに、ユースの女子代表チームでコーチを務めた経歴を持つ。
ヘルタリン・デ・ルーズ前監督が解任されたのちにチームを任され、それからまだわずか一月弱であるが、女子サッカーに携わってきた歴史は長い。
アジアの強豪である日本代表との戦いに望む“マチルダス”(オーストラリア女子代表の愛称)を導く男は、インタビューで自分が馬主であることも明かした。
アレン・スタイチッチ
(ウェストフィールド・マチルダス ヘッドコーチ)
「二~三年前、少しフットボールから離れることを試みて、競走馬の権利を買い始めたんだ。スポーツとは全く関係ないところでね。私は三~四頭の競走馬を所有している。
我々はマイ・タイ・レディを保有している。とても楽しませてくれるのではないかと思っているんだ。調教の様子を数回見に行った。
私はレースのことはほとんど知らなかったんだけどね。マイ・タイ・レディはタリーでのレースで優勝した(2014/3/7)。彼女は良いリーダーだ。常にリードできるラインを狙っており、常にそこに突撃する試みをしているよ。
(選手時代について?)
私は両膝を手術していた。その間にこの国で最も高いレベルのコーチングライセンスを取得したんだ。若いときから指導者になりたいと思っていた。怪我があったからこそ、24、25歳でその資格を取るチャンスが得られたのさ。
私はバンクスタウンで指導者としてのキャリアを始め、それからU-18、二年目にはリザーブチームを指揮したよ。27歳か、28歳の時に、ニューサウスウェールズ州の女性プログラムの監督が見つかるまでの暫定的な指揮官を任された。
10年後、私は同じ仕事をやっていたよ。我々が2002年に始めたプログラムは、12の奨学金があった。これまでの10年の間、50、60名のプレーヤーがオーストラリア代表に入っていった。
州の男子、女子代表チーム、そしてNSW(New South Wales)協会で指導しているときも、私は選手と共に良い環境を与えられていたよ。
その後私はシドニーのヒルズ・スポーツ・ハイスクールに移って10年指導している。フットボール・プログラムの監督を務めた。
最初に12歳から教えた生徒は2008年に卒業した。7人の選手がAリーグに入ったし、かなりの人数が“マチルダス”、あるいは“ヤング・マチルダス”に呼ばれた。
これはパートタイムの仕事だ。だからNSW協会がフルタイム、シドニーFCでの仕事がパートタイムという形で組み合わせていたときと同じだ。
(そんな生活、いつオフがあるんですか)
あまりない、と私の妻ブレンダは言うよ。結婚して12年になるけれど、ブレンダはサッカーの未亡人だね」