「はじめまして。こちらで初めてコラムを掲載させて頂く事になりましたイシマッティと申します。マドリディスタであり、CR7ファンとしての私がこちらでコラムを掲載させて頂くにあたり、私の初回記事にふさわしい題材をもとにしたものを執筆させて頂きました。拙いところがありますが、どうかご了承下さい。よろしくお願い致します。」



2004年、男は涙した。

母国ポルトガルで行われた4年に一度開催されるヨーロピアンフットボールの祭典「EURO」の決勝戦、ダークホースであったギリシャに敗れ、優勝を逃したのだ。

当時19歳のマデイラ島出身の少年は、試合終了のホイッスルが鳴ると悔し泣きに泣いた。幼い頃からこの男、クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロはそうだった。

ロナウドがフットボーラーとしてのキャリアをスタートさせたアンドリーニャFCの会長は語る。

「幼い頃は、ある試合で前半0-2とリードされていた事でさえ涙を流していた。負けず嫌いで、勝つことしか頭にないんだ。だから負けていると悔しくて涙を流してしまうのだろう。もっとも、その試合の後半ではゴールしたりと大活躍で3-2で勝利したがね」。

幼い頃のみならず、プロフットボーラーとしてのキャリアを通じてロナウドは、常に屈辱を受けていた。

広く知られているところでは、EURO2004の決勝での敗北をはじめ、ドイツW杯では当時の同僚ウェイン・ルーニーを退場に追い込んだとしてW杯後にオールド・トラッフォードでホームのファンから大ブーイングを受けた。

しかしそのキャリア全体として注目すると、彼は飛躍的に活躍することによって、批判・非難する周囲を黙らせ、自らを屈辱から救い出してきた。

ホームのファンから大ブーイングを受けたそのシーズンにはプレーの質と成績を飛躍的に伸ばしPFA(イングランドプロフットボール協会)の年間最優秀選手賞と年間最優秀若手選手賞をダブル受賞。バロンドールでもカカーに次ぐ2位に選出。翌シーズンにはサイドMFながら公式戦42ゴールを挙げマンチェスター・ユナイテッドをプレミアリーグ連覇とCL制覇に導き、2008年バロンドールを初受賞。

試合に敗れて泣きじゃくっていた19歳は4年後、CL決勝PK戦での勝利後、嬉し泣きに泣いていた。4年で世界最高の選手としての称賛を受けるまでに到達したのである。

しかしそのあまりある称賛もわずか1年で取って代わられることになる。

ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任したバルセロナがフットボールの一時代を築き始めたのだ。 2年連続でCLのファイナルに上り詰めたユナイテッドは、このバルセロナとカップを争った。サー・アレックス・ファーガソンがロナウドを中心に据え「史上最強」と認めたチームは全く歯が立たなかった。

結果も、内容も。

その瞬間から、「リオネル・メッシが頂点、クリスティアーノ・ロナウドは次点」という彼にとって屈辱的な世論が定着していく。

「第2次ギャラクティコスプロジェクト」の一員としてレアル・マドリーに籍を移し、 屈辱を味わわされたバルセロナに直接借りを返すチャンスが多く巡ってくる環境に身を置いた。しかし借りを返すどころか屈辱を受けるシーンは増えるばかり。

リーガ1年目ではクラシコ2戦連続ノーゴール、マドリーはクラシコ4連敗となり、バルセロナの栄冠防衛を許してしまう。ホームで決勝が開催されるCLではあろうことか決勝トーナメント1回戦で格下リヨンに敗退。2年目にはカンプノウでのクラシコで0-5の大敗を喫す。国王杯の決勝で行われたクラシコではバルセロナ相手にようやく初めて決勝点を決め、3年目には一時代を築いたバルセロナから歴史的なリーガ奪還を果たすも、そのマドリーの中心であった彼に与えられた報いは「世界最高の選手は君ではない、依然リオネル・メッシだよ」というFIFAからの屈辱的な宣告だった。

ただ、自分ではなくメッシが選ばれ、メッシが4年連続のバロンドールを受賞した瞬間を目の当たりにしても、彼がその屈辱で涙を流すことはなかった。EURO2004の悔し涙から「クライベイビー」と呼ばれた少年はすでに大人になっており、苦笑いを浮かべるだけにとどまった。

EURO2004での悔し涙からおよそ10年、PKでチェルシーを下した時の嬉し涙からおよそ6年。すっかり大人になったロナウドの「クライベイビー」な一面が、久しぶりに公に姿を現した。

2014年1月、2度目のバロンドールを受賞。

男は涙した。

自分が世界最高の選手と信じて疑わない自信とそれを裏付けるだけの実力を持った彼にとってあまりに長すぎた5年の屈辱は晴らされた。CL得点王や新シーズンに入ってからの驚異的な活躍ぶり、W杯への切符をかけた全世界が注目するプレーオフでハットトリックを含む全4得点を挙げるなど受賞にふさわしいパフォーマンスを披露し、またも周囲の目を変えることに成功した。

こう書くと完全にロナウドが再リベンジを果たしたように受け取れてしまうが、 このバロンドール受賞には異論も唱えられた。前シーズン所属チームのマドリーがメジャータイトル0であるロナウドが受賞したのに対し、3冠を獲得したバイエルンの立役者であるフランク・リベリーが差し置かれたからだ。 しかしバロンドールは2010年からFIFAと合併することでより個人のパフォーマンスに特化した賞となっている。その代役を務めるようにUEFAが、メジャーコンペティションでのチーム成績も審査基準に含めた個人賞であるUEFA年間最優秀選手賞を設立した。初代受賞者はスペイン代表EURO連覇のMVPアンドレス・イニエスタ。そして2回目となる今回、リベリーはちゃんと選出されている。

となると、マドリーでのメジャータイトル多数確保に先立って最も栄誉ある個人賞を受賞したロナウドが次に個人賞を欲するとすれば、それは決まっている。メッシ同様彼にとって今最も受賞が難しい個人賞、それがUEFA年間最優秀選手賞だ。彼にはまだ、未開の境地である最高個人賞が残っている。来年の選出にはおそらく、ポルトガル代表の彼には若干難易度の高いW杯優勝という審査基準が加わることが予想されるため、クラブ単位での活躍を受賞の決め手とする必要が出てくる。

「レアル・マドリーのチームメイト、監督、会長、スタッフ・・・皆に感謝している。彼らなしでは受賞はあり得なかった」

2度目のバロンドール受賞の際のスピーチで、ロナウドはそう語った。彼が、次はUEFA年間最優秀選手賞を受賞したいと望むならそれは単に未開の境地だからというだけではないはずだ。彼がその賞を受賞する時、それはレアル・マドリーの栄光を意味している。選手個人としての屈辱を晴らした今、彼は次に自身の所属するクラブの長年の屈辱を晴らそうとしている。

チーム成績が受賞の一因に設定されるUEFA年間最優秀選手賞の受賞は、彼を2度目のバロンドールに導いたチームメイト、監督、会長、スタッフへの何よりの恩返しとなる。恩返しへのチャレンジはもうすでに始まっており、その一つ目の関門がやってきた。

2013-14シーズンリーガエスパニョーラ第29節、今季2度目のクラシコ。勝てばバルセロナとの勝ち点差を7に広げることができ、優勝を争うライバルチームのうち一つを突き放すことができる大事な試合であり直接対決である。

彼のフットボール人生は、借りを返す事の連続だ。たとえ今シーズンが失敗に終わったとしても、近い将来リベンジの糧とするのだろう。ただ今シーズンはマドリーも状態が良く、彼の驚異的なプレーレベルも相変わらずだ。

すなわち、中心選手として、リーガ奪還、クラシコとなることが決まった国王杯決勝での勝利、そして10度目のCL制覇にマドリーを導く事。

今シーズンだけでこれらの恩返しをあっさり済ませ、クラブの雪辱さえ果たしてしまう事も彼ならやってのけてしまうのではないか。筆者はそのように想像出来てしまうのだ。

<完>


筆者名:イシマッティ

好きな選手だったデイヴィット・ベッカムと入れ代わりにマンチェスターU.に入団したクリスティアーノ・ロナウドのプレーに衝撃を覚えて以来、長らく大のCR7ファンを続けているユナイテッドファン出身、現マドリディスタ。 生涯のマドリー愛を誓っています。 好みはありますが、フットボールを評価する際には客観視を極める事にトライしています。 ブログにてフットボールを隅々まで楽しむ為の持論を展開中。
ツイッター: @7FMA7

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