10月11日、テレグラフ紙、AFP通信などが「ガーナから密航でアルゼンチンに渡った経験を持つバヤン・マフムードが、ボカ・ジュニオルスと契約を果たした」と報じた。
バヤン・マフムードは今年18歳。ガーナ北東部にあるブコーという街の出身であるが、10歳の時にクサシ族とマンプルシ族の部族戦争が発生し、薬学医師であった両親が殺害された。
その後弟とともに孤児院に入ったものの、数年後に再び民族間の紛争が発生。逃亡中には弟とも生き別れに。
そして、命からがらたどり着いた港町ケープコーストで働いていたが、あるとき船のコンテナに忍び込みヨーロッパに渡ることを決断。僅かな食料しか持っていなかったために深刻な飢餓に陥ったものの、運良く船のアフリカ人乗組員によって発見され、こっそりと食料を分けて貰うことができたとのことだ。
テレグラフ&AFP
バヤン・マフムード
「あのときは良かった。僕はいつもサッカーをしていた。靴もゴールポストもなかったけど、弟や友人とストリートでね。だけども、その後戦闘が始まってしまった。
両親の死は悲劇だった。あの日、僕は弟と一日外出していた。そして、帰宅したら両親が殺されていたんだ。
その後僕たちは孤児院で生活していたが、5年後にまた武装集団が戻ってきて、多くの人々が殺された。自分も殺されると思った。だから弟と一緒に逃げた――でも、結局弟も失ってしまった。
船に忍び込むのはとても怖かった。しかし、僕はガーナであまりにも恐ろしいものを見てしまったし、多くの悲しみから離れたかったんだ。もし(密航した船の)偉い人が僕を見つけていたら、まっすぐ送り返されていただろうね」
ただ、行き先は彼の求めるヨーロッパではなく、アルゼンチンであった。彼にとっては全く聞いたことのない国であったが、同じようにセネガルから逃れてきた人々に助けられ、難民として生活できるようになったという。
そして、公園でサッカーをしている彼のプレーを見たスカウトから誘われ、受験したトライアルに合格。アルゼンチンに渡って僅か三ヶ月でボカ・ジュニオルスの下部組織に入団する事に成功した。
それから3年、ついにトップチームと契約を結ぶことになった。また、ナイキとのパートナーシップも締結。将来的にはアルゼンチン国籍の取得も目指しているという。
テレグラフ&AFP
バヤン・マフムード
「ある日僕は公園にいて、サッカーしている人たちを見ていたんだ。そうしたら負けた方のチームの人が僕に『プレーするか?』と尋ねてきてね。僕はピッチに出て、そして、勝ったよ。それから毎週土曜日に来てくれないかと頼まれたんだ(笑)
きっと両親も、僕をとても誇りに思ってくれるだろう。ボカにはとても満足している。非常に素晴らしい場所だ。僕は、アルゼンチン代表でプレーする初の黒人選手になりたいんだ」