アンドレア・ピルロ。34歳のイタリア代表はコンフェデレーションズカップ2013のメキシコ戦で代表通算100キャップを達成する。

アッズーリ史上5人目の100キャップ達成となるピルロ。かつてファンタジスタとして将来を嘱望された男は主戦場を中盤の底へ移して才能を開花させた。スペイン代表のチャビと共に世代最高のMFとして未来に語り継がれる事は間違いないだろう。

ピルロが才能を開花させたのはミラン時代の事だ。ポルトガル代表MF、マヌエル・ルイ・コスタの加入によって自らのポジションを下げる事を当時の指揮官、カルロ・アンチェロッティに志願。稀代のプレーメーカーとして実績充分のルイ・コスタと争うのではなく、共存する形を望み結果を残した。ミランの先代レジスタであるデメトリオ・アルベルティーニがクラブを去る結果となったのも、ピルロという卓越した存在があったからに他ならない。今思えば、この時の志願、抜擢が無ければ、「将来を嘱望されていた選手」の1人として終わってしまった可能性もあり、代表100キャップを達成する事はできなかっただろう。

当時を思い起こせば、ピルロの両脇には常に太刀持ち、露払いのような形で運動量抱負なMFが配置されていた。圧倒的なスキルで後方からゲームメイクできるピルロだが、守備面での拙さを露呈しており、ジェンナーロ・ガットゥーゾやクラレンス・セードルフらインサイドハーフのサポートがピルロには必要だった。運動量抱負な彼らに加え、ピルロの背後にはパオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタというサッカー史上に残るディフェンダーが控えていた事も「レジスタ、ピルロ」誕生のきっかけであったと言われている。

4-3-1-2のミランが成果を残すにつれて、対戦チームはこぞってピルロを徹底マークし始めたのも印象的だった。GKからディフェンスライン、そしてピルロへとボールが入った瞬間に2人以上のプレスがかかるのである。「守備的MF」といわれる選手が低い位置であれほどのプレッシャーを受ける事は基本的に稀であり、いかに対戦チームがピルロにボールを捌かれる事や前を向かれる事を嫌ったかが明確にわかるシーンであった。

ピルロのように中盤の中央に司令塔のような選手が鎮座するケースは世界的にも稀なケースだ。当時革命的と呼ばれたのはそれが所以であり、現在でもその流れは基本的に変わっていない。同じようなシステムを試したチームはいくつかあったが、成功しないのは中心にアンドレア・ピルロがいないからである。ピルロがユヴェントスへ移籍した事はその最たる例として考えて良いだろう。ピルロを失ったミランの4-3-1-2は機能しなくなり、ピルロを獲得したユヴェントスは中盤がスムーズになった。彼がいかに絶対的な選手であるかを物語るエピソードの1つだ。

ミランでピルロが成功した事でアッズーリも変革の時を迎える。堅守速攻が代名詞であったアッズーリもピルロを軸とするシステムを採用。堅守速攻の基本姿勢は変わらなくともピルロという存在は代表チームに溶け混み、2006年のワールドカップ制覇へと繋がっている。2010年のワールドカップで失意を味わったアッズーリ。2012年のEUROへ向けてチェーザレ・プランデッリのチームが始動したがその中心は変わらずにピルロだった。チームのシステムが変わろうとも、太刀持ち、露払いを務める選手が若返ろうとも、チームはピルロを中心に組み立てられ準優勝という成果を残している。

EURO直後にはピルロの代表引退が囁かれたがワールドカップを目指す事を本人が宣言。34歳のMFはワールドカップを1年前に控えた今、コンフェデレーションズカップのピッチに立ち、記念となる代表100キャップを達成する。来年の本大会への不安があるとすれば今回のコンフェデレーションズカップにおけるアッズーリの成績ではないだろうか。アッズーリの成績が芳しく無ければ、プランデッリはチームの改造に着手する可能性があるだ。しかし、それでもピルロが来年の夏もブラジルでピッチに立つと感じるのはやはり彼が類稀なマエストロであるからではないだろうか。