23日、エル・パイス紙は元フランス代表選手リリアン・テュラムのロングインタビューを掲載した。

2008年に現役を引退したテュラムは、その後主に人種差別問題などに関わる政治活動家となった。2011年には「私の黒い星」という本を出版(スペイン語とフランス語版。残念ながら英語、日本語版はない)。先日の同性結婚問題でもデモに参加したことが明らかになっている。

精力的に活動を続ける彼が、人種差別問題、かつて所属したバルセロナ、現在のフランス代表チームについて語った。

(なぜ本を出版?)

「黒人の話をするとき、多くの人がまだ奴隷だと思っている。黒人にネガティブなイメージを持っていることが普通なんだ。とても不当なこと。長い歴史がそれを作り上げた。

まるで『男性は女性より優れている』と言うかのようにね。性差別主義は人種差別主義と似ている。皮膚の色か、ジェンダーかが違うだけだ。私の本はその歴史を理解し、黒人のイメージを変えるものだ。

子供にとって、最も重要なことは夢を見ることだ。しかし、黒人の場合は、社会は全てを夢見させてはくれない。これは、僕に降りかかったことでもある。

想像してみよう。あなたが子供で、クラスには黒人が溢れている。どのように感じるか? 人々はこれを正常だとは考えない。これは無意識のものであり、子供は否定の偏見の中で成長していく。

私が言いたいことは、私たちには皆異なる色の星を持っているということ。世界を見る目は変えることができる」

(どのような差別を感じた?)

「私はグアドループで生まれた。皆私と同じような肌の色をしていた。そして9歳の時にパリへとやってきた。ここでは、私は他の人と違う見た目の人間として過ごした。

子供の頃、2頭の雌牛の漫画を読んだ。白は賢く、黒は愚かだった。なぜ愚かか? そして学校で私は『黒い雌牛」と呼ばれた。理解できなかったし、とても悲しかった。

私は『なぜ皮膚の色がマイナスのイメージになるのか』と母に尋ねた。彼女は仕方ないことだと話し、そして世間も変わることはなかった。

人種差別主義は社会に根付いており、政治的概念であり、経済的概念である。しかしそれは優劣は表さない。人類は一つだ。

何世紀も前から、学校でさえ『白色人種が優れている』と教えてきており、それはつい最近まであった歴史だ。60年代のアメリカ、90年代の南アフリカ。人種差別主義とナチズムも結合されてきた」

(フランス、イタリア、スペインでプレーして、人種差別を経験した?)

「ああ。イタリアでは黒人選手がボールが触ると、モンキーチャントが送られる。彼らは、黒人は人間とサルの間のミッシングリンクだと言うのだ。

このような人種差別は見ることが出来るが、こうやって目に出来るものは最も危険な種ではない。無意識のうちに人種差別主義者になっている人々が最も危険なのだ」

(スペインでは?)

「サミュエル・エトーがサラゴサで受けた事(2006年2月、サラゴサのサポーターから人種差別的暴言を受けた)を私は覚えている。人種差別はどこにでもある。グアドループでも、人々はさらに皮膚の色で差別をしているよ。これはヨーロッパが世界を支配したときに植え付けた哲学なんだ。

私は子供たちに『クリストファー・コロンブスは何をした人ですか?』と聞いた。すると『アメリカ大陸を発見した人』と答える。

しかし私は『違う。アメリカ大陸は、既にそこにあったのだ』と話した。コロンブスの前には事実アメリカ・インディアンが表れたんだ。しかし、それが人間と数えられていないんだよ」

(サッカーには何が出来ますか)

「支援をすることが出来る。チームには異なる国々の人がいる。あなたがそのチームを好きならば、心を開く手助けになる。

今や、色はイコール文化ではない。黒いカタルーニャ人もいる時代だ。イタリアではまだバロテッリが自国民と認められていない。これは驚くべき事だ」

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