○クラブ原則がなければ、クラブのスタイルも生まれない

つまりインテルというクラブには、クラブが目指す、作り上げたい「これぞインテル・ミラノだ」という、クラブのスタイルがない。

これは頂に到るためのアプローチ、と言い換えてもよいだろう。マンチェスター・ユナイテッドやバルセロナら、過去数年間に渡って結果を出し続けてきたクラブとは、実に対照的だ。イタリア国内を見渡せば、計画性という点で、ウディネーゼやナポリらに遥かに劣る。

このクラブのスタイルとは、何も戦術面に限った話ではない。むしろクラブ原則と同様に、戦略的な側面が強いテーマだ。

例えば、

①個人技に長けた選手を集め
②指揮官は人間関係の構築術に優れ、コミュニケーションを重視し
③戦術面では最低限の連携を設けられればよい

といった方針を打ち出す場合、これは立派な方向性と言うことができる。

一見するとイメージはよくないかもしれず、コストはかかるかもしれないが、少なくともアプローチ、頂に到るための道のりははっきりしている。実際、マンチェスター・シティなどはまさにこのアプローチで、昨季のプレミアリーグ優勝を成し遂げた。

ユナイテッドのような勤勉性や、バルセロナのような華麗なパスワークを、伝統的に戦術面で必ず採用するクラブもある。一方で、監督や選手個々のキャラクターに、チーム作りを大きく依存する、より戦略的観点に拠ったクラブ・スタイルもあってよいのだということである。目標を達成するための手段は、どんなアプローチでも構わないのだ。そこには有効性の差こそあれ、少なくとも優劣は存在しない。

この時、そのスタイルが有効性を持って機能するかどうかは、先述した「環境」に大きく左右される。

自身とそれを取り巻く環境に対し、有効でないアプローチについては、「この方法で残せる結果は、ここが限界だ」とフロントが判断した時点で、新たなアプローチへとシフトすることになる。これが中・長期的な目標と、それにまつわるオペレーションだ。状況の変化によって、これを上方・下方修正し、時には抜本的・根本的な改革を行いながら、複数年をまたいでクラブは運営されていくことになる。

象徴的なのは、モウリーニョを招聘する前後のレアル・マドリードと、グアルディオラ就任前後のバルセロナだろう。前者はそれまで、良くも悪くもクラブ内で分散していた権限の多くを一個人の意思に委ねることで、各セクションのオペレーションを統合し、クラブとしての一貫性を生み出した。後者はロナウジーニョやデコらの放出に伴う、メッシ他カンテラ出身者を積極登用するチーム作りに舵を切ったことで、指揮官の手腕もあってのこととは言え、欧州フットボール史に残る偉大な記録を打ち立てた。

繰り返しになるが、アプローチの内容そのものに、優劣は存在しない。マンチェスター・シティやチェルシーは、オーナーの潤沢に過ぎる資金源という環境をフルに活用し、瞬く間に世界でも指折りの強豪クラブを作り上げた。ボルシア・ドルトムントなどは、過去十数年間に渡る不振から脱却すべく、スカウト&育成メカニズムの徹底した研鑽により、時間をかけて強豪へと返り咲くクラブもある。それぞれ環境を読み切り、実態にあった優れた強化策を打ち出したが故の成功と言える。

インテルも数年前までは、環境と実態への理解と、計画との統合性が取れていた。だからこそ、三冠へと手が届いたのだ。だが、時間の経過による環境の変化に対応しきれず、変化を恐れて身動きが取れなくなってしまった印象が強い。だからこそ今、変化の時である今夏の重要性が、一層際立ってくるのである。

○招聘に見るクラブの混乱~ベニテス編~

メルカート(移籍市場)でのオペレーション、いわゆる補強戦略にも、当然のように方向性は必要だ。むしろ最重要と言っていい。先述した通り、クラブで目指すチームのスタイルそのものが決まっていれば、ここで獲得する選手の選別に迷いがなくなる。また、獲得・補強における現場とフロントの意思疎通が円滑になり、衝突も起こりにくくもなる効果もある。

インテルは伝統的に、売り買いが下手くそなクラブとして知られている。高く買い、極めて高く雇い、安く売るを繰り返してきた歴史があることは確かだ。しかし、ここ2年間の失敗は、こうした悪しき伝統以外に、指揮系統の混乱、複数の異なるエゴが混在した結果として起こったものだったと言える。

象徴的な事例が、ベニテスとガスペリーニを取り巻く状況だ。クラブ戦略の観点から見た場合、両者は要求した選手が、一人として獲得されなかったという点で共通している。

これには、当然の理由がある。この二人はどちらも、「モラッティではなく、ブランカ主導で行われた人選ではないか」というのが、業界内に流布する定説であることだ。

マルコ・ブランカとは現在インテルで、TD(テクニカル・ディレクター)を担当しており、補強や人事に関する絶大な権限を持つ人物である。真相は定かではなく、詳細の報告は避けるが、状況証拠から考える限り、信憑性は十分な話であることだけを、今回はお伝えしておく。

ここで問題となるのが、最終的な決定権を持つモラッティと、そこに具体的なアイデアを提示するブランカの間で、目指す(望む)方向性に大きな食い違いがあったことだ。

モラッティのアイデアは、モウリーニョの路線を継続し、サイクルを出来るだけ引き延ばすというものだった。翻ってブランカのそれは、モウリーニョ路線からの一刻も早い脱却を目指し、新たなサイクルを構築することと見て間違いはない。クラブ内で大きな決定権限を持つ、この2人の方向性の乖離が、チームに決定的な打撃を与えることになった。

わかりやすく言うとこういうことだ。

①まず夏ごとに、ブランカ主導で指揮官の人選が行われる。
②指揮官が決まれば、当然その趣向に併せた選手補強が進められる。
だがこの時、陣容に大きく手を加え、大幅な選手の入れ替えを望む、ベニテスやガスペリーニの方向性は、組織のトップであるモラッティにとって好ましくない。
③前者は自分の仕事に忠実な、複数の選手を前所属のリバプールから獲得することを望み、後者は同じくジェノアからの引き抜きを望んだが、これは同時に、元いた選手を放出し、新加入の選手がプレーできるポジションを空けてくれと要求することに他ならない。
④それにモラッティが反発し、現場の意向を無視した売買を繰り返した。

……というのが、当時のインテルの内情であると考えられる。

ひとつ想像していただきたい。

電車が何よりも好きな鉄道マニア、中でも乗ることに喜びを見出す、いわゆる「乗り鉄」と呼ばれる面々が、喜色満面で旅行を計画している。

そこにあなたが一言、「さ、早く車に乗ってくれ。目的地まで高速道路をすっ飛ばして行くから」とでも言えば……さてどうなるか?

反応は個々のキャラクターにより様々だろうが、少なからず落胆、あるいは反発を招くことは、想像に難くないだろう。

これまで数百億単位の額、身銭を切ってクラブを強化してきたモラッティに、「自らのこだわりと、愛着ある選手を捨てよ」 と告げることは、この比ではない意味を持つ。頂上へ向かうアプローチは複数存在し、自分好みの道もちゃんとあるのに、何が悲しくて別のルートを選択しなければならないのか?

モラッティがそう考えても不思議ではない。

状況を悪い方向へ後押ししたのが、インテル所属選手の、売買の難しさである。より具体的に言えば、高齢かつ高給取りな選手達の売却だ。

例えば2010年の夏、ベニテスお気に入りのアッガーやマスケラーノがインテルに来ていれば、サムエルやスタンコヴィッチは大きくその立場が揺らいでいただろう。年俸の高額さ、グループに与える影響力の大きさを考えても、チームに置いておくことはできない。「新たなサイクルを始めようとした時に、安心してベンチに置いておける選手ではない」からである。精神的にタフネスな一方で、必然、みなプライドが高く、グルッポへの影響力が強すぎる。

こうなると当然、元いた選手の売却先、買い手を必要が出てくるわけだが、これは非常に困難なミッションだ。クラブ間交渉だけでなく、選手自身を納得させなければならないという点を考えれば、難解極まると言っていい。実際、三冠を獲得した直後のシーズンであるこの年ですら、話題にあがったのはマイコンやカンビアッソら、当時のインテルにとって直ちに代役を用意するのが困難な選手ばかりだった。端的に言ってしまえば、働き盛りのアラサーはともかく、すでに衰えが随所に見える“アラ35”なベテラン勢は、お呼びでないということである。

巨額の負債を抱えているインテルのメルカートは、まず売りありきでオペレーションがスタートする。そのため、必ずしも買い換える必要性のない(と、少なくともモラッティは考えていた)ポジションの選手を獲得してくることは、フロントにとって非常に抵抗感が高かったというわけだ。

クラブが一致団結し、強烈な意思を持って売却を推し進めない限り、高齢化した陣容の刷新とは、なかなか叶わないものである。むべなるかな、現在にしてなお、インテルの改革が思うように進まないことは、いっそ必然と言うことができる。

また、これは余談だが、ベニテスが反モウリーニョと目される人物であったことも、モラッティの態度を硬化させた原因のひとつだと思う。実際、後任のレオナルドに対しては、まるで掌を返したかのように、次から次と強力な新戦力が与えられた。

モラッティが大変な気分屋であることは、ブランカとしてよくよく承知していたであろう。にも関わらず、何故こうした展開を何故予測できなかったのだろうか? 劇的なチームの変化を望むのであれば、モラッティの説得に必要なあの手この手の方策を準備し、あるいはそれが叶わなかった場合の、次善策は用意されていなかったのだろうか。フロントの足並みの揃わなさを、如実に物語るエピソードと言える。

○招聘に見るクラブの混乱~ガスペリーニ編

2011年の夏、ガスペリーニのケースはもっと深刻だった。

彼の敷く3-4-3でインテルが戦おうとすれば、CFは一人しか起用できない。にも関わらず、インテルはこの時ディエゴ・ミリートとジャンパオロ・パッツィーニという、2人の典型的なプリマプンタ(イタリアにおけるセンターFWのこと)を擁していた。加えて、クラブのアイドルであるヴェスレイ・スナイデルは、実質的にトップ下以外に適正ポジションを持てない選手である。ちなみにスナイデルの取り扱いの難しさ、デリケートさについては、昨夏(https://qoly.jp/index.php/special/5584-sneijder)書いた通りである。

これは推測になるが、“彼の機能性を大きく損ねる≒スタメンに入れない方が、むしろチームの機能性が上がる”3-4-3というシステムを採用することそのものに、モラッティは拭い切れない懐疑心を抱いていたのではないだろうか。

少なくともモラッティの中の優先順位は、完全に お気に入りの選手たち>>>ガスペリーニ

だった。

ガスペリーニに要求されたのは、自身のアイデンティティの発揮ではなく、状況に合わせた方向転換だったのだ。ラディカルな、だが確固たる意志に基づく発想の実現に情熱を傾けてきた同監督にとって、これは耐え難い侮辱である。

事実この件について、ガスペリーニ本人がインテル退団後に、「私は何度も繰り返し、自分のやり方について説明した。だが、それは彼ら(フロント全体を指す言葉だが、おそらくその最たるところはモラッティだろう)にちゃんと伝わっていなかった。しっかりと受け止められていなかったんだ」と語っている。

状況証拠を見る限り、実際にその通りだったのだろう。

故に、ガスペリーニに与えられた選手達は、彼がまったく望まなかったディエゴ・フォルランという新たなプリマプンタ(驚くべきことに3人目である)と、マウロ・サラテという仕掛け屋である。前者に到っては言語道断、後者は「サイドが主戦場」という、ただそれだけの理由で、まったくプレースタイルがそぐわないにも関わらず、無理やり3-4-3の枠に加えろと押しつけられた選手である。ガスペリーニが望んだロドリゴ・パラシオや、サミュエル・エトーらとは、似ても似つかないプレースタイルの持ち主だ。

そしてそのエトー、指揮官が得点源として最も信を置くチームに不可欠だった選手は、コストカットを名目にロシアへと売り飛ばされた。財政的な状況を考慮すれば避けられないオペレーションだったとは言え……いかにガスペリーニの意思が軽視されていたのか? 指揮官が当時、どういった精神状態に置かれていたのか。改めてそれを考えてみると、心中、察するに余りあるものがある。

この巨大なカオス、あまりの状況の不可解さに、筆者は当時、ガスペリーニがインテルというビッグクラブの指揮官就任を機に、新たなアイデアを試すつもりで進められた補強なのかと考えていた。否、無理にでもそう思い込もうと努めた。エトーの放出はやむなしとしても、フォルランやサラテの獲得は、完全に筆者の予想の範疇を超えていた。だからこそ、相応のビジョンがあって迎え入れられたものかと考えたのだ。この時点では筆者もまだ、インテルのフロントを信じていたのである。

だが実際に蓋を開けてみれば、予想は完全に裏切られた。開幕戦でお披露目されたのは、運動性と連動性を欠いた、まったく機能しない3-4-3だったのだ。

試合の後半、チームの重鎮カンビアッソが、「3バックじゃやられるだけだ!4バックにしろ、責任は俺が取る!」と号令を発したにも関わらずチームの連携はズタズタに崩れ、無残にも敗戦という悲惨なスタートだった。

結果の悲惨さ以上に、現場とフロントのただならぬ空気を感じた自分は、試合後しばし茫然自失していたものである。この後ガスペリーニは、とうとうインテルで一勝もあげることができずに解任の憂き目に遭うのだが、指揮官自身の問題、失敗や能力を差し引いても、より大きな過失はフロントの方にこそあったと断言できる。

昨夏、ジョナタン、カスタイニョス、アルバレス、ポーリといった比較的安価な若手・中堅どころを次々と獲得していったのは、恐らくブランカ主導のオペレーションだったのではないかと思う。一方、エトーの代役にフォルランを招いたのは、モラッティのキャラクターが色濃く感じられる。ファンタジスタ色を匂わせ、長身で破壊的なプリマプンタは、同会長の大好物だからだ(事実、フォルランについては幾度となく好意的なコメントを発していた)。こうした補強戦略の一貫性のなさが、チームに大きな混乱をもたらしたということは、確信を持って言うことができる

○若手・生え抜きというリソースの浪費

補強と高い相関性を持つのが、若手選手の育成だ。近年、バルセロナやバイエルンの成功と、世界的な不況の影響等から、このセクションに対する注目は日に日に高まっている。

「よいクラブである条件のひとつが、よい下部組織を持っていることだ」と言っても、もはや過言ではないだろう。外部から高額の選手を買い求める必要なく、クラブへの理解も自他の愛着も深い、伸びしろが充分な新戦力を、自前で調達できることになるからだ。

では、インテルはどうなのだろうか?

……悲しいかな。多くの皆さんが予想された通り、このテーマに話題が及ぶ時、我々はネガティブな解答に終始する他ない。改めてインテルが抱える、若手育成の問題点について考えてみることにしよう。

象徴的な事例がある。

現指揮官のストラマッチョーニが、インテルのプリマヴェーラ(いわゆるユースチームの亜種)を率いてこの世代の欧州チャンピオンズリーグを制覇したことは、インテリスタの間では周知の事実である。だが、彼がプリマで採用していた4-3-3のシステムは、過去2年間、一度としてトップチームでは使われたことがない。

なるほど。これではクラブ内で育成した有望な若手選手達(インテルの若手選手に対する評価は存外と高い)が、昇格を果たしたトップチームでは、ほとんど出番を勝ち取ることができず、失意のまま落ちぶれていくのも頷ける。

例えば3トップの中央、4-3-3や4-2-3-1の最前線で、プリマプンタとしてプレーしてきた若手選手がいたとする。こうした選手に対して、「トップチームは4-3-1-2だから、お前は2トップの一角として動け」 と注文をつければ、少なからず戸惑いを覚えることがほとんどだろう。

名目上は同じFWでも、求められる仕事の質が、複数の点で異なるからだ。自分が下部組織で磨いてきた武器は使う機会を与えられず、使用頻度の少なかった武器での応戦を余儀なくされれば、結果は火を見るより明らかというものである。

モウリーニョ在籍時には、この状況を改善しようと、クラブも動いたことがある。トップチームと同じフォーメーション、共通の練習メニューを採用し、これを中心にチーム作りを進めようというプロジェクトだ。だが、これも同氏がレアル・マドリーに引き抜かれた後、現在の形へと落ち着いている。

蛇足を承知で付け加えて言うなら、昨季は陣容のアンバランスさから、フォルランやスナイデルら、経験豊富なメガクラック達さえ、同じようなジレンマを抱えていた。彼らですら無理なことを、どうして若手に強要できようか? 論理的に考えて彼らの挫折という結果は、至極当然のことである。

結局、インテルのプリマヴェーラに求められるのは、 「システムやポジションがころころ変わっても実力を発揮できる、究極のユーティリティ性と、その中でもキャラクターを発揮できるだけの強烈なクオリティ」 なのかもしれない。

どだい無理な注文と言わざるを得ない。

過去数年インテルにおいて、マリオ・バロテッリ以外に、トップチームでも遜色ないクオリティを、一定期間に渡って発揮できた選手はいなかった。だが実際、マリオほど体力・精神力(良くも悪くも)・技術力、すべてにおいて規格外の怪物的なプレイヤーでなければ、トップチームで生き残ることは不可能だということだ。

例えば欧州CLでクリスティアーノ・ロナウドを封殺するという、センセーショナルなデビューを果たしたダヴィデ・サントンは、その後脆くもプレッシャーに潰れた。プリマで「神童」と呼ばれ、昨季トップチームへと昇格したロレンツォ・クリセティグも、結局出番を勝ち取ることが叶わず、今夏は共同保有の形でパルマへ武者修行に出ることが決まっている。他にも似たようなケースは、ことインテルにおいては、例を挙げ始めればきりがない。

もしくは、残された若手の使い道は、 「若い年代で活躍し、プロのピッチでもそこそこに活躍できる、移籍金代わりに他クラブにくれてやれる選手」 という、夢も希望もないアイデアにしかならない。

しかし実際、インテルの過去数年のメルカートの動きを見る限り、クラブは若手をこうした形でしか運用できていないのだ。およそ健全なメガクラブのあり方とは、かけ離れた所にクラブの現実がある。

将来性豊かな若手であったマッティア・デストロの共同保有権を、あっさりとジェノアへ売り飛ばすも、彼が一大ブレイクを果たした状況を受け、慌てて買い戻しを画策。しかし時すでに遅く、結局失敗に終わった今夏の一幕(最終的にデストロはローマへ)は、クラブの計画性のなさを如実に物語る。

確かに、インテルで若手選手が活躍するというのは、他のクラブのそれとは比較にならないほど、選手にとって難解極まるミッションではある。

イタリアは元々、若手に対する期待値が極端に低い国だ。同程度の実力を持った選手であれば、他国であれば若い選手が起用されるだろうが、イタリアでは経験とネームバリューを理由に、ベテラン選手がピッチに立つケースが非常に多い。ベテランを起用して負けるよりも、若手を起用して負ける方が、非難の声も圧倒的に大きくなる。とことん若者に厳しい国なのだ。

加えて、インテル・ミラノのクラブ体質の問題がある。インテルは元々、身内の失敗に厳しく、内紛を併発しやすい、悪しき伝統を抱えている。今回のモラッティとブランカの「ズレ」などは、まさにその典型だ。

このような環境でも活躍できる若手がいるとすれば、指揮官がよほど若手の起用に積極的&効果的な手法を熟知しており、尚且つ、クラブへのプレッシャー(期待、とも言えるのが寂しい所ではあるが)が少ないシーズンであるか、あるいは他とはすべてにおいて一線を画する、桁違いのフェノーメノ(怪物)が現れた時だけであろう。それこそ、マリオ・バロテッリのような、である。

○インテルに課せられた「宿題」

まとめに入ろう。

繰り返し恐縮だが、筆者がインテルに求めているのは、「クラブ原則」の確立だ。

目標を立て、その実現に向け、各セクションがビジョンを共有して、一貫性のある計画を遂行すること。
その実行に当たり必要なルールを整備し、これに沿って活動すること。
参加するすべてのコンペティションで、貪欲に勝利を目指すこと。

端的に言って、この3点に尽きる。

ブランカ主導で、大々的な改革を進めるのもよい。

モラッティの趣味趣向を追求し、金を浪費することも一向に構わない。

一度口にしたことに、責任さえ持ってくれれば、どのような方法を用いてもらってもよいのである。

筆者はアプローチの種類を問わない。筆者自身の好み、例えば若手リソースの有効活用などは、必ずしも実現されなくても構わない。うまくいけばおおいに結構だが、その実現のために支払われるコストが、それ以外のアプローチに必要なコストを上回ってしまう場合、必然的に勝利という結果を追求することは難しくなる。現時点で最も効率的な用途で運営しつつ、じょじょに改善を図っていく方が、よほど現実的なアイデアとなるだろう。

選手の獲得ありきのチームでも構わない。指揮官は戦術面・精神面でのバランス調整を図ることに腐心し、選手の補強はフロントがすべて行うようなアプローチでも、そのこと自体は問題にはならない。ビッグネームを次から次へと獲得し、彼らの個人能力に頼った堅守速攻を行おうと考えても、アイデアそのものが責められる謂れはない。

ともかく問題となるケースは、頂に到るためのアプローチを定めきれず、場当たり的にビッグネームを招聘することだ。監督であれ選手であれ、まったく同じことが言える。これこそが唾棄すべき愚策だ。その過ちを繰り返したからこそ、チームはここまで堕落したのである。

受け取り方は様々だと思うが、筆者は今夏のクラブの動きを歓迎する。遅きに失した感は否めないが、それでもようやく時代に合った、身の丈に合ったマネジメントを目指して動き出したと言えるからだ。

他方、変化の代償として支払われる、一部選手たちの怨嗟の声は、心身を呈して受け止める。彼らの被った痛みと苦しみ、そしてエゴは、クラブがこれまで誤ったマネジメントを続けてきたが故に生じたものだ。今後、二度とこうした悲劇を繰り返させないために、我々はクラブの動きを慎重に精査しなければなるまい。

この陣容で結果を出すことは、正直に言ってかなりの困難を伴うだろう。数年前のインテルに比べ、質・量共に、心もとないこと甚だしいものがある。だが、少なくともクラブが現在直面している問題と、真正面から向き合おうとする姿勢は感じられる。老若を問わず、ビッグタイトル獲得の経験がない、野心的な選手が多く集められた点は、非常に好感が持てるところだ。

今シーズン開幕まで、いよいよ後数日と迫った。大きな期待と不安を持って、インテルという巨大な泥船の行く末を、インテリスタとして心行くまで愉しむ次第である。

<了>

※選手表記、チーム表記はQoly.jpのデータベースに準拠しています。


筆者名 白面
プロフィール モウリーニョ、インテル、川崎Fにぞっこん。他にはジェノア、トットナム、リヴァプールなんかも贔屓に。選手はもっぱら『クセモノ』系ばかり愛でてます。プライベートでは、サッカー関連のblogや同人やあれこれ書いていたり?とりあえず以後お見知りおきを。
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