2012年ロンドンオリンピックへの出場を決めた韓国U-23代表チーム。スポーツ朝鮮紙のハ・ソンリョン記者は、予選の戦いについて「Jリーグは招集に非協力的だったが、後に状況が一変した」というコラムを掲載。それを抜粋して紹介したい。


「ホン・ミョンボ五輪代表監督が五輪予選を戦うに当たって一番心配していたことは、Jリーグのクラブで中心となっている選手の招集が可能かどうかであった。Jリーグは非協力的であった。ヨルダンとの2次予選がシーズン中の6月であったからだ。

当時ホン・ミョンボ監督はキム・ボギョンが招集出来るか悩んでいた。セレッソ大阪の関係者、監督と会談を持ったり、フィジカルコーチの池田正剛氏を特使として派遣したりした。だが最終的に監督は決断した。

『2次予選には呼ばず、より重要な最終予選で協力を求める』

監督とJリーグの駆け引きが本格的に始まった瞬間であった。

ところが最終予選の途中にJリーグの態度が一変した。ホン・ミョンボ監督に積極的に協力をし始めたのである。この間に何があったのだろうか? 池田正剛氏が後日談を聞かせてくれた。

『“目に見える効果”がJリーグのクラブを動かした。韓国の選手たちが五輪代表に行って帰ってくると、実力を伸ばしている。そしてリーグで活躍するため、招集に協力するようになったようだ』

その背景が面白い。日本はいつもトレーニングの強度が低い。決められた時間の間に必要な訓練をするだけだ。韓国式に慣れている選手たちは“練習時間が不足している”と感じるのが当然だ。個人的な練習をしなければ、体がなまるのだ。

韓国五輪代表チームではより強度の高いトレーニングを消化することになり、通常のコンディションを取り戻して所属チームに帰るということになる。Jリーグのクラブがホン・ミョンボ監督に頼るようになった。

ホン・ミョンボ監督の日本国内での地位も大きく影響した。2000年に柏レイソルでプレーした時、至上初めて外国人選手として主将を任され、精神的な支えとなった。そして下位に低迷していたレイソルを、3位にまで引き上げた。そして彼の力が日本に知られるようになった。

池田正剛フィジカルコーチは、

『当時のホン・ミョンボ氏は、監督に代わって試合前の選手を集めて指示を出す事があるほど、チームの中で認められていた』

と話す。日本での信頼が今になって輝きを増しているのだ。

ホン・ミョンボ監督は先月22日から日本を訪問した。最終予選への協力に対する感謝を直接伝えるためだ。FIFAがロンドン五輪への選手招集義務を設定したことに加え、Jリーグのチームへの協力も取り付けた。

ロンドン五輪への足取りは軽くなった。コンディションと相手の戦力分析に集中できる環境が整った。18人しかいない本大会に臨むメンバーの中に、所属選手が含まれていることを願うJリーグのチームが、監督の動きに関心を持つことになるかもしれない」

(筆:Qoly編集部 K)

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