(現地時間)1日、1970年代にラツィオで伝説的な活躍を見せ、2000年にはクラブ史上最も偉大なプレーヤーの称号も手にしたジョルジョ・キナーリャが心臓発作のために亡くなった。65歳だった。
キナーリャはトスカーナのカッラーラ生まれで、8歳の時に家族そろってウェールズのカーディフに移住。ここでカーディフのサッカースクールに入団すると、頭角を現し、1964年10月にトップチームデビュー。その後、セリエCのマッセーゼ、インテルナポリで実績を重ね、1969年にはセリエAのラツィオへ。得点王にも輝いた1973/74シーズンには24得点を挙げ、クラブ史上初となるスクデット獲得に大きく貢献。最終的には1976年まで同クラブに所属し、通算209試合出場98得点という記録を残した。なお、この時期にはイタリア代表としても14試合に出場し、1974W杯の本大会メンバーにも名を連ねている。
その後は、1976年に、当時欧州でブームとなっていたNASL(北米サッカーリーグ)に参加。NYコスモスの一員として、ペレやフランツ・ベッケンバウアーらと晩年を過ごし、同リーグ通算243得点という歴代トップのゴール数を築いた後、1983年に現役引退。引退後は、そのままアメリカに定住し、フロリダのネープルズで余生を送っていた。
現役時代は“ロング・ジョン”の愛称で親しまれ、パワフルなゴールを量産
“無敵のストライカー”として名を馳せていたアメリカ時代のプレー集
(筆:Qoly編集部 T)
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