かつてイタリア・セリエAのペルージャやウディネーゼ、サンプドリアでプレーしたリビア代表FWアル・サーディ・アル・カダフィが、トリポリの刑務所から釈放された。

アル・サーディ・アル・カダフィは1973年生まれの48歳。リビアの独裁者であったムアンマル・アル・カダフィ大佐の3男として生まれた。

政治家ではなくサッカー選手としてのキャリアを追求し、アル・アハリとアル・イティハドでプレーしたあと、2003年にはイタリア・セリエAのペルージャに移籍したこともある。

もちろん、彼に有利な「忖度」をされているという噂も絶えず流れていたが、リビア代表選手としても18試合でプレーしたアタッカーだった。

サッカー選手から離れたあとはリビアサッカー連盟の会長を務めるなどの活動を行っていたが、「アラブの春」に端を発したリビア内戦の中で反政府軍に身柄を拘束された。

【動画】サーディ・アル・カダフィが身柄を拘束されたときの報道…ペルージャに加入した際の映像も

その後刑務所において7年の時を過ごすことになり、その間には彼が拷問を受けている場面だと言われる映像も流出するなど、厳しい立場にあったという。

ただ最終的に彼は殺人などの重い罪には関与していないという判決が下り、9月5日をもって釈放されることになった。

『Al Jazeera』などの報道によれば、アル・サーディ・アル・カダフィは釈放後すぐに身を隠しながらトルコのイスタンブールへと向かったとのこと。

そして『Corriere Dello Sport』によれば、かつてペルージャで会長を務めたルチアーノ・ガウッチ氏の息子リッカルドが、彼を招待したいと考えていると明かしている。

リッカルド・ガウッチ

「サーディが告発されたような犯罪を犯すような人物だとは考えられないよ。彼はいつだって礼儀正しく謙虚な男だった。

彼をペルージャに迎え入れたのは、選手の能力というよりもイメージ戦略のためだった。両国を平和に近づけるための戦略でもあった。

サーディがチャンピオンでないことは誰もが知っていたが、にもかかわらず彼は一生懸命トレーニングに臨み、プレー時間が少ないことにも文句一つ言わなかった。

彼が臨むのであれば、このウンブリアの地は彼のためのドアを常に開けているよ」

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